一匹狼が私にとっては褒め言葉だった

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「私もそう」みたいな共感が怖い時期がありました。前の職場では派閥みたいなのがあって、ある部分で共感した途端にあれもこれも共感することを求められたのが怖かったしそれで悲しい思いもしました。

後に教育係をやることになった関係もあり、渡りに船!と思ってどこにも属さないことを徹底していたので、誰かの悪口に対して共感を求められる度に「こういう所もあるから、悪人でもないですよ」と伝えて自分を守ってきたのでした。

そんなことを言っておきながら、一定ラインまでは共感されて嬉しく思う自分もいました。一人で抱えきれなくて、たまに人前で感情を吐き出しては下から本心が見てえきて、「言い過ぎたなぁ」と反省と自己嫌悪するまでがルーチンでした。

だからこそ安全な感情処理は大事だなぁと思う今日この頃。前の職場では特に3年目位までは共感による事故って本当に多かったなぁという私の苦い経験です。

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誰かを傷つけることは怖いけど、誰も傷つけないということも無理なんだなぁと思いました。「好き」は一見ポジティブなんだけど、「嫌い」を持っている人に対して「好き」を公表することは否定になる。単純なポジティブとネガティブの話でもないのが難しい。そもそも、「誰かを傷つけたくない」は「誰かを傷つけたことで私が嫌な思いをしたくない」という自分が真ん中にいる理由だし、考えれば考える程沼にハマってしまうのでした。

だから、意見を求められた時には「否定」ではなく「私は」こう思う、という「相手との線引き」という意識を持って自分の考えを伝えるようにしました。相手に対しては共感よりも理解の姿勢を意識しました。

同じでないことに対して不服そうな先輩もいたけれど、嫌われるのも致し方なしとして振る舞いました。どこの派閥にもいないので守るものは患者さんと後輩だけになったし、結果的に仕事はしやすくなりました。開き直ったら意外と普通に過ごせました。

前の職場を辞める時、色んな人が泣いてくれてびっくりした反面、「一匹狼だと思ってた」とも言われてなんとも不思議な関係性を作ったなと思ったのですが、「一匹狼」は誰の敵でもないという意味だったのかなと好意的に受け取りミッションコンプリートとしました。

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後から思ったのは、「一匹狼」ってやっぱりちょっと寂しかったかなぁということです。誰かと仲良くすること自体は好きだから、でも、仕事でそれをやると面倒だからと避けた結果でもあったのでした。それもあって、最近は、共感よりも相互理解で人と繋がれたら嬉しいなぁと思っています。敵とか味方ではなく、存在として理解を示していきたい。自分がそれを出来ているかは危ういけど、そういう意識は持っていきたいなぁと思うのです。

「一匹狼」の次は何て呼ばれるのがいいかなぁ。考えておこう。

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